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ソラタネについて

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“島津に暗君なし”。そう謳われるほど、次々と優れた
君主を輩出してきた鹿児島。さらに君主だけでなく、
西郷隆盛や大久保利通をはじめ、日本史に燦然と
輝く英傑たちがこの地できら星のごとく誕生。
彼らを生んだ土壌とは何なのか。
そして彼らはこの地に何を遺したのか。
ヒーローを生む地・鹿児島を旅する。

独自の教育で時代を変えた 英傑が生まれた町

維新の風と薩摩スピリットを感じる旅は、鹿児島市の中心部、加治屋町(かじやちょう)から始めよう。JR鹿児島中央駅から徒歩数分の場所にあるこの町は、明治維新の原動力となった数々の偉人を輩出した地として知られている。西郷隆盛や弟の従道(つぐみち)、大久保利通をはじめ、大山 巌(いわお)、東郷平八郎、山本権兵衛…と錚々(そうそう)たる顔ぶれ。同時期にこれだけの人材を生んだ町は稀有といってよく、あの司馬遼太郎をして「明治維新から日露戦争までを一町内でやったようなもの」と言わしめたほどだ。  
この小さな町が多くの英傑を育んだ要因として、薩摩藩独自の“郷中(ごじゅう)教育”がある。郷中教育とは、武士階級の青少年を一定の地域(郷中)ごとに集団化し、その中で年長者が年少者を教育するシステムのこと。その特色は”教師なき教育”であり、先輩は後輩を教えることで自らも学び、後輩は先輩の背を見て育つ。教師がいなくとも、ほかの地域との競争意識もあってその教育はたいへん厳しかったといい、西郷も心身を大いに鍛えられた。下級武士の家に生まれ、貧しい生活を余儀なくされていた西郷だが、このシステムのおかげで高度な教育を受けられたことが、彼の資質の開花に繋がったことは想像に難くない。

『西郷どん』の愛称で鹿児島で絶大な人気を誇る西郷隆盛。時を経た今でも彼の人望は色褪せない。写真は城山町にある西郷隆盛銅像。近くには鶴丸城跡もある。

明治の元勲、大久保は今もこの町を見守る

西郷隆盛、木戸孝允と並んで維新の
三傑に数えられる大久保利通。
明治政府の中心的役割を担った。

加治屋町を流れる甲突川(こうつきがわ)周辺は、現在、歴史ロード『維新ドラマの道』と『維新ふるさとの道』が整備されている。トリックアートを使った肖像画をはじめ、『西郷(せご)どん 大河ドラマ館』や『維新ふるさと館』などがあり、見どころは多い。また、道中には西郷隆盛誕生地碑や大久保利通生い立ちの地碑もあり、2人の英傑がこの地で共に育ったことを実感できる。年が近く、幼なじみでもあった2人。“正助どん”“吉之助さぁ”。そう呼び合いながら、この川のほとりで将来の夢を語り、時には恋の悩みを打ち明けていたのかも…などと思いを馳せてみる。ふと、すれ違う地元の子どもたちに、かつての西郷や大久保の姿を重ねずにはいられなかった。
『時を刻む語らい広場』には足元に薩摩藩独自の薩摩暦が刻まれている。薩摩藩は1779年(安永8年)、天文観測所である『明時館(めいじかん)』を創設。この明時館は『天文館』とも呼ばれ、これが現在の繁華街・天文館の名の由来となっているそうだ。 
維新ふるさとの道を抜けた先、高見橋には大久保利通の銅像が立つ。フロックコートをひるがえす姿は、その威厳が比類なきものであったとされる大久保の雰囲気をよく表している。冷徹な政治家のイメージもある一方で、子煩悩であり、家族と過ごす時間を何よりも大切にしたという大久保。銅像を見上げながら、彼の人物像に思いを巡らせた。

2018年6月1日時点の情報です

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