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ソラタネについて

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朝6時。母と息子で餡を包む姿がそこにはあった。

周囲の支援により、未来へと受け継がれる伝統の味。
今日もどこかでみんなを笑顔にしている。

再開を実現させたのは周りの人たちの手助け

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『ニコニコ饅頭』(8個入り¥400)。
現在、『鶴屋フーディワン』の4店舗、
『阿蘇ファームランド』で販売中。

JR豊肥本線と南阿蘇鉄道の2つの路線が乗り入れる立野駅。『2016年熊本地震』で、甚大な被害が出た地区にあり、震災から1年以上経った現在も、駅としての機能は一切停止している。そんな立野駅前で、1916年(大正5年)から名物の『ニコニコ饅頭』を作り続けてきたのが、髙瀬さん一家。もちろん髙瀬さんも地震の影響を受けたが、本震発生から1か月も経たないうちに、饅頭の製造を再開した。饅頭作りに欠かせない製餡機、生地こね機を修理してくれた業者、全国各地から駆けつけてくれたボランティア、地元のガス・電力会社の方々のおかげと、3代目の髙瀬忠幸さん・清子さん夫妻は当時を振り返る。
ただ、事態は深刻で、水道も完全に止まっており、復旧に1年以上はかかるという状況。水は、饅頭作りに欠かせない大切な原料だ。「水を購入して饅頭を作ることも考えましたが、膨大な量を使用するため、採算が合わないと頭を悩ませていた時に、大津町の青年会議所の方々がペットボトル入りの天然水を2トントラックいっぱいに積み込み、届けてくれたんです。加えて、僕の友人・知人も手に入るだけの水を持ってきてくれて…」と続ける、4代目の大輔さん。この水こそが、復活に大きな役割を果たしたことは、言うに及ばないだろう。人々の助けを借りて、製造再開を遂げた“家業”。変わらぬ場所から、復興に向けて第一歩が静かに踏み出された瞬間だった。

伝統を未来へと繋ぐ そのために作り続ける

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「甘さは時代の流れとともに変えてきましたが、
作り方は昔も今も同じ。防腐剤や着色料などは
一切使わず、体に優しい饅頭を作っています」
と話す、3代目の髙瀬忠幸さん。

製造は再開したものの、駅を訪れる人はほぼゼロ。「立野駅は南阿蘇鉄道のトロッコ列車の始発駅で、乗客の方に買ってもらうのがほとんどでした。ありがたいことに、2015年度は約1万4000パックを売り上げましたが、震災前の水準での販売はできません。そこで『道の駅大津』に相談したところ、熊本市内に4店舗あるスーパー『鶴屋フーディワン』に置かせてもらえるようになりました」と話す大輔さんの姿は、感慨深げだ。ひと口サイズで、こし餡の優しい甘さと、ほのかな酒の香りを醸す『ニコニコ饅頭』は、「昔、よく食べてた」「懐かしい」と、熊本市内にもファンが多い阿蘇の隠れた名物。現在は定休日の火曜以外、1日50パック限定で販売しており、ほぼ毎日売切れる人気ぶりなのだとか。
家族3人の仕込みは毎朝6時から。ひとつひとつ、手作業でこし餡を生地に包み、蒸し上げて作る、昔ながらの製法だ。「私の祖父が1907年(明治40年)、大津町で売り始めたこの饅頭。味を守り続けていくのが、私たちの役目ですよ」と語る忠幸さんの言葉には、力強さが感じられる。8月末に南阿蘇地域のメインルートとして期待される長陽大橋が補修を終え、伴って水道も開通する立野地区。JR豊肥本線の大津駅〜立野駅の運行再開が2018年春予定、南阿蘇鉄道全線復旧には少なくとも5年はかかるなど、震災前のような観光地に戻るのはまだまだ先だが、少しずつ、確かに前へと進んでいる。ぜひ、熊本市内で『ニコニコ饅頭』を見かけたら手にとってみてほしい。名前の通り、つい笑顔がこぼれる味わいに出合えるはずだ。

  • 大津町の青年会議所の方々が
    届けてくれた水。
    これが饅頭作り再開の一助になった。
  • 「製餡機や生地こね機は地震により倒れ
    てしまったが、少しの修理で済んだのも
    運が良かった」と忠幸さんは話す。
  • 作りたての饅頭を車に積み、
    熊本市内へ配送する大輔さん。

2017年9月1日時点の情報です

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