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ソラタネについて

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有田で初めて器が焼かれたのち、
陶工たちが海を渡って目指したのは天草だった。
その透き通るような白さから最上級と称される陶石の産地。
光輝く海と、緑生い茂る豊かな島で育まれてきた、ものづくりの魂を感じる旅へ。

最上級の品質を誇る天草陶石 陶磁器のルーツ、ここにあり

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木山健太郎さん。
京都修業では特に釉薬(ゆうやく)の色に
ついて研究を重ねた。

清らかで美しい透明感のある白。薄手で軽く、口あたりも良い。焼き物のひとつ、磁器は陶石から生まれる。
西岸を中心に、天草は陶石の一大産地となっている。有田焼や清水焼の材料として出荷され、全国シェアの8割を占めている。『天草陶石』は鉄分の含有量が少ないため、白く、絵付けが映え、最上級の品質との呼び声が高い。天草で陶磁器の生産が盛んな理由に、この良質な陶石が採れることがある。
では、天草で作陶が始まったのはいつからか。それを解き明かしたのが、今から40数年前に『内田皿山焼』の窯元周辺で発掘された磁器片だった。『内田皿山焼』は山あいに大きな登り窯を構える、天草を代表する窯元のひとつだ。
「もともと当社は陶石を採掘する会社でした。1970年(昭和45年)に、縁あってタコつぼを生産していた会社からこの地を引き継ぎ、作陶を始めることになりました。場所を整えようと工事をしていたところ、磁器の破片が大量に見つかったのです」と、代表の木山健太郎さんが話してくれた。
調査の結果から高級磁器や東南アジアなどに輸出するものを生産していたことがわかった。このことからこの地には1650年頃に窯が開かれたとされている。日本で一番最初に開窯したのは有田焼。それからわずか30数年後のことだ。「水鳥や、荒磯といわれる魚が顔を出している文様など、有田焼らしい文様が見つかっています。もしかすると、有田焼の陶工たちが海を越えてきたのかも知れません。なかには曲がった皿など失敗作と思われるものもあります。この地で出合った陶石や焼成用のマツの違いに、手を焼いたのかも知れませんね。そう思って見ると、おもしろいんですよ」。

『内田皿山焼』では『天草陶石』を使った磁器と、近隣で採れる粘土を使った土ものを作っている。陶石は磁器に使われる以外に、白化粧といって土ものにもかけて使う。その上から絵付けをすると、優しい表情のある器が生まれる。一方で、磁器には直接絵付けを施す。その際には、青くも見える白の美しさを最大限に活かすよう、余白を残しながら絵を描いていくのだという。
自身の作品も極め続けている木山さんは、海や夕日などを題材にして、天草の自然を感じさせるものをテーマとしている。工房からも視線を投じればすぐ、海が見える。そうだ、天草はインスピレーションを与えてくれる広大な自然に恵まれているのだった。
『内田皿山焼』は、タコつぼの生産で知られる企業でもある。美味しいタコが有名な天草。漁師が捕獲用に使うつぼかと思いきや、どうもそれだけではないらしい。近年、海の生き物を増やそうという取り組みが各地の自治体で行われており、産卵のためのタコつぼとして使用する動きが活発になってきているという。出荷量は年間5万個だが、捕獲用よりも産卵用が多いそうだ。
一時期は需要がプラスチック製に流れたこともあったが、最近では割れても海の土に還る、天草の赤土を使ったタコつぼのリクエストが多いのだとか。天草で生まれた土と火で焼かれたタコつぼが、どこかの海底に沈む様子をぼんやりと想像してみた。

SPOT(A)内田皿山焼

  • 熊本県天草郡苓北町内田554-1

  • 0969-35-0222

  • 8:00〜17:00、土日祝9:30〜17:00

  • なし

  • 20台(無料)

  • 阿蘇くまもと空港より車で約150分

2019年11月1日時点の情報です

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